パリ国立高等音楽院教授、イヴ・アンリ氏とともに

夜空に蒼く輝く月、その光に照らされた白い雲片。その下に広がる喜びの島、月の光が島の稜線を照らしている。海はどこまでも暗く黒く底に向かって神秘の光を放っている。海上に生起する寄せては返す虹の波。アラベスク風の高台で水を吐く噴水。独り高く上がっては崩れ落ち水盤を満たす。水の反映だ。これはドビュッシー没後百年を記念して私が描いた詩的散文の絵である。

今日のイヴ・アンリのピアノを聴きながら絵に共通しそうな楽想に想いを馳せていた。ショパンがピアノの詩人と呼ばれ、画家のドラクロワと色彩感について大いに論じ合ったように、ショパンの後継者のドビュッシーもまたいかに音で色彩を表わすかで苦しんだようだ。イヴ・アンリの演奏を聴いていて、曲の楽想がそもそも脳裏になければ、それを表わす色彩感も何もあったものではない。音楽を志す人は音楽以外にもっと詩や文学、絵画にも関心を示してほしいと思った。天に向かい、水底に向かって放つ神秘の色は最弱の、無音の長い音ではないだろうか。
2012年7月ブリジストン美術館で開催された「ドビュッシー、音楽と美術-印象派と象徴派のあいだで」の解説書を読むと、次のようにある。ドビュッシーが、神秘への嗜好、彼岸への逃避の絶えざる憧憬を持ち、内省と不安の象徴的風景である深淵のほうを向いていた。音楽の定義でも、ドビュッシーは迷わず暗闇のイメージを選んだ。  「音楽は語りえないもののために作られる。私が望むのは音楽があたかも影から外に現れ出たかのように感じられること、そして折々影の中に帰っていくこと…」で、あまり明るいものは好まなかったようだ。それでこのような闇の絵を描くことにした。