齢と脳

齢と脳

齢も80を過ぎると、いよいよ「自分らしさ」を追求したくなる。One and onlyの世界である。
人間には二つとして同じ顔がないように人はみなそもそも唯一無二なものだが、生き方をベースに考えると、そこには類型があり、必ずしも唯一無二とは言い難い。今日も世界陸上の模様をテレビで観戦していて、勝負を争う選手の生き方に相違があるとは思えなかった。
それでは、人がその人らしく、他人と違った生き方をしているとはどういうことか。それはその人の脳に刻まれた痕跡、形跡が他人のそれと違っていることだ。
人は生まれ落ちた瞬間からそれ以来、休むことなくどの瞬間も脳を使わずに生きてはおられない。三つ子の魂百までとはよく言ったもので、人の言動は生後から現今まですべて脳の支配するところであり、その形跡は記憶され、よく使う脳の部位はよく発達し、強化され、使わない部位は未発達のままで残る。
私は人をざっくりと動詞型、名詞型、形容詞型の三種類に分類する。動詞型は行動派、名詞型は知性派、形容詞型は感性派で、だれでもこれらのすべての要素を大なり小なり持ち合わせているが、とくにその人の目立った部分で色分けしている。動詞型の典型はスポーツマン、名詞型のそれは学者、研究者、形容詞型のそれは芸術家といった具合である。
人がどうして今の職業についたか、それはその人の脳に訊けば解る。幼少の頃からの色々な生活体験が脳に刻まれており、それが得手ないし無難と思われた職業を選ばせたのである。そしてその職業に付くことにより、いよいよその方面の脳部位が発達し強化された。反面、少しも使わない部位は未発達のまま残された。
ここで私の場合を取り上げてみる。明らかに形容詞型である。
私の幼少時を辿ると同居していた祖父が表具師だったため物心ついたときから書画骨董を身近で無意識ながら見てきた。無意識ではあるがそれにより私の視覚神経部位が幼少の割には発達していたかも知れない。それがいうところの三つ子の魂となり、発芽となってそれ以後どの年齢においても美術に対する関心はあり、それが強まり今日に至って絵を描いている。
また父が私の幼少の頃からこれからは英語が大切と説いたことから英語好きになり、学生時代を通じ、また社会人になってからも英語を鍛えたが、それらはすべて私の言語中枢を発達させ強化させた。
美術や英語が好きになったのはこのような次第である。
そこに新しく加わったのが音楽である。
結婚するまで私の生活環境に特段、音楽に言及するほどのことはなかった。これまた脳のよく知るところで、この聴覚神経が発達していたとは到底思われない。
しかし、妻が音楽に特化した女性だったため、次第に音楽に目覚めた。しかし、それは三十歳半ばからで、運動神経が未発達な私に、運動神経のいる楽器を扱うことは不向きと断じ、できるのは音楽鑑賞だった。とくに定年前後からはクラシック音楽を中心に聴いてきた。自前で音楽ホールを作ったこともあり、このホールや他の場所で催したコンサートも今や500回以上を数え、常に演奏家の生の音に接してきた。これが私の聴覚神経を異常に発達させたことは間違いない。
話が少し元に戻るが、私の英語好きの特長は、リスニングにある。51歳から始めたアメリカ国内放送の聴き取りである。まだ聴き取れたとは言い難い。が、間違いなくその聴覚開発途上にあり、これからが楽しみな領域に入った。
世の中には美術の専門家も音楽の専門家も英語の専門家も沢山いる。その人たちにとって、それはその専門領域であり、たやすく他人が追随できるところではない。英語の場合は少し違う。ことは読み書きではなくリスニングである。中でも米国の国内放送が聞けるリスニングである。例外はあるとしても帰国子女でなければできる技ではないと思う。
80を回った私の「自分らしさ」をいよいよ磨いて行くためには、以上の三つ、絵描き、クラシック音楽鑑賞、英語リスニングの総合である。音楽の聴覚野と英語の聴覚野、これらは脳部位でも近くに居合わせ何らかの相互作用があるはずである。また絵画の視覚野も音楽の聴覚野と視聴覚として底辺で繋がっているかも知れない。
これからの脳活性化が精神的、肉体的若さ保持の秘訣である。
(2017.8.9)