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2021 July



英語耳は䞭幎からでも進歩する

本幎月日にアマゟン瀟から売り出した小生の玙の本「英語耳は䞭幎からでも進歩する」が、”英語耳”の新着ランキングで件以䞊あるうちの䞊䜍に来おいたす。嬉こずです。実物はこの写真です。

今日は幎月日火、朝からベッドの䞭でゞョヌ・バむデン倧統領のアメリカ独立蚘念日の挔説を聞いた。普段の話しぶりず違っお元気溌剌ずした衚情で、匷いアメリカがたた戻っおくるず力を蟌めおいた。コロナパンデミックがワクチン効果で次第に薄れ、人の行動にも倉化が出始めた、いよいよこれからだずいうのだ。このように盞圓皋床によく聞き取れ理解できるたでになった。この理解の様をどう説明すれば、皆さんに、たた埌日の私に、今の私の理解状態が解っおもらえるだろうか。   ふずカラヌプリンタヌから出おくるカラヌ写真を思い出した。赀、青、黄のむンクがしかるべくうたく混じり合えばきれいな写真が出おくるが、むンクの䞀郚でも䞍足するず劙な写真になる。たたむンクは十分でも耇雑な絵をコピヌしようずするず、むンクの調合に時間がかかっおなかなか玙が出おこない。この様が今の私の英語攟送の聞き取り具合をよく衚しおいる。   私はカラヌプリンタヌだ。そしお私の脳は赀、青、黄のむンクであり、それらを調合する肝心な働きだ。むンクの貯たり具合も調合する働き具合もすべお脳の神経回路の぀ながり具合にかかっおいる。普通のむンクタンクず違うずころは普通のむンクタンクは枛る䞀方、このむンクタンクは増える䞀方だ。プリンタヌには原皿を眮くガラス板がある。それに盞圓するのが耳だ。耳に倖郚から入っおくる情報を眮き、スタヌトをクリックするず原皿が色で調合される。この脳の堎合、色ずは䜕だろうか。赀は音発音、青は文法構文、黄は知識情報だ。赀の音発音が聞き取れなければ䜕事も始たらない、しかし聞き取れおもそれが青の文法構文でうたく調理され、黄の知識情報で味付けされなければ、䜕を喰っおいるのか分からない。    さお、今の私のむンクの貯たり具合はどうだろうか。長幎の蓄えで赀の音発音むンクは盞圓充満しおきた。だから赀郚分のコピヌは盞圓進んでいるずみなしおよい。青の文法構文はどうか。簡単な原皿ならいいが、英語攟送は耇雑な絵をコピヌしおいるようなものだから、構文凊理に時間がかかりかすれたたた出るしかない。黄の知識情報はどうか。これは今からずいうずころだ。これらのむンクは独立に䜿われはしない。他のむンクず調合しながら䜿われる。その調合を行っおいるプリンタヌの肝心郚分が、脳でいえば前頭葉だ。この機胜の党面発揮にはただただ時間がかかりそうだ。

生たれた幎、月、日、時を四぀の柱ずしお人の運勢を占う四柱掚呜は私にずっお興味以䞊のものである。これをある皮、科孊以䞊のものずしお私は捉えおいる。四柱掚呜のややこしい理論は暪に眮くずしお、その背景ずなっおいる宇宙の営みに私は目を芋匵る。「胎児の䞖界」䞭公文庫の著者、䞉朚成倫は、で、森矅䞇象を貫くリズムの本質を明らかにし、どんな生物の食ず性の営みも幎・月・日のリズムず厳密に結び぀いおいるず述べおいる。同じ軌道を埪環しおいるように芋える月や倪陜も幎ずずもに䜍眮を倉え、同じ定点に䞀時ずしお留たらない。人の䞀生もこの軌道に圱響されるものらしい。  人には宿呜ず運呜がある。宿呜は生たれながらにも぀性質や運勢、運呜は運ぶ呜、巡りあわせずなる吉凶犍犏の運勢である。どの定点で生たれたかで宿呜が決たり、これからどのような軌道をめぐるかで運呜が決たるずいう法則だろう。 私の宿呜はどの曞を玐どいおも倧䜓同じで、私の性質の芁玄はこんな具合である。  「日からの刀断 研究や孊問の分野で力を発揮。カンが鋭く、芳察力や分析力が高い。地道にコツコツ努力する。奜き嫌いが激しく、協調性はあたりないが、倧きなやさしさを秘めおいる。朔癖で少し独善的なずころがある。月からの刀断 宝石のキラメキが氎の流れを茝かせる絵ずなり、品栌があり、知的な人物。察人面ですこしチグハグなずころがある。しかし物腰が柔らかく穏やかで人から奜かれる。少し芋栄を匵るずころがある。毒舌家の面もある。抌しが匱く、二番手に培するこずが倚い、 」このように蚀われるずもうほずんど信じたくもなる。なぜ、ここたで私の生幎月日時間は普通分からないこずが倚いため、実質は䞉柱掚呜だけで解るのか。 次に私に運呜を芋おみよう。□を曞いお、䞊を北、䞋を南、右を東、巊を西ずする。そしお䞀蟺を等分するず、□が等分される。぀たり十二支のずなる。北の真ん䞭を子、ねずし、右呚りに䞑、うし、寅、ずら卯、う ずし、最埌に亥、いを子、ねの巊隣にするず茪が䞀巡する。このそれぞれを幎ずするず完党に䞀巡するのに幎がかかるこずになる。 私は䞉月生たれ、぀たり卯、う月の生たれは右蟺の真ん䞭、そこからグルっず右廻りするある蚈算匏で巊呚りもある。私が卯、うを離れお蟰、た぀になるのは歳の時ある蚈算匏で算出したもの。人により違う。以埌幎刻みで、歳で東から南ぞ折れ、歳、歳、歳ず進み、西ぞ折れ、歳、歳、歳ず進み、北ぞ折れ、今真ん䞭の歳にいる。今埌、長生きすれば歳ずなり、東に折れ、歳、歳、ずなっお元の歳に重なるこずになる。䞀蟺が幎だが、その方向が倉わる時が倧倉化、同じ蟺内の刻みでは小倉化が蚪れるずいう。  人それぞれの特有星がこの軌道を回るずき、人それぞれに、その特有の運呜が蚪れる。 星は朚、火、土、金、氎の皮があり、そのそれぞれに陰陜二぀があり党郚で皮類ずなる。これが干支十干十二支の干に圓たる。私の星は氎の陰で、この星が悪い運勢を蟿り始めるのは南から西に折れる歳から。ずくに歳から歳が最悪、それから埐々に回埩、これが北に折れる歳からの幎間は幞運に倉わるずある。思い返せば私が四柱掚呜を知ったのは歳過ぎ、ニュヌペヌクから垰囜した盎埌だった。男にずっお䞀番倧切な管理職時代歳歳に䞀番くさっおいた。その時にこの運勢を知り、「なるほど、今が最悪なのは定めなんだ。これから埐々に悪条件を脱し、歳の定幎から䞊向き、北に方向転換する歳からは倧いに垌望が持おる」ず思ったものだった。 これが予想通りずいうか占い通りになったのだから驚きも驚き、もう私はこの四柱掚呜を疑えない。ずくに今、歳になっおそれが顕著になった。占いは陰暊がベヌスなので今回の自費出版もはじめから月以降ず定めおいた。この出版でたた新たな人生が始たりそうだし、今日からThe Music Center Japan のホヌムペヌゞも装いを新たにした。この節目に圓たりこのような゚ッセヌを蚘念に認めた。 今や私にずっお四柱掚呜は迷信でもなければ圓たるも八半、圓たらぬも八半的存圚ではない。人生䞀生の確かな道しるべずしお神劙に考える術である。

パリ囜立高等音楜院教授、むノ・アンリ氏ずずもに

倜空に蒌く茝く月、その光に照らされた癜い雲片。その䞋に広がる喜びの島、月の光が島の皜線を照らしおいる。海はどこたでも暗く黒く底に向かっお神秘の光を攟っおいる。海䞊に生起する寄せおは返す虹の波。アラベスク颚の高台で氎を吐く噎氎。独り高く䞊がっおは厩れ萜ち氎盀を満たす。氎の反映だ。これはドビュッシヌ没埌癟幎を蚘念しお私が描いた詩的散文の絵である。 今日のむノ・アンリのピアノを聎きながら絵に共通しそうな楜想に想いを銳せおいた。ショパンがピアノの詩人ず呌ばれ、画家のドラクロワず色圩感に぀いお倧いに論じ合ったように、ショパンの埌継者のドビュッシヌもたたいかに音で色圩を衚わすかで苊しんだようだ。むノ・アンリの挔奏を聎いおいお、曲の楜想がそもそも脳裏になければ、それを衚わす色圩感も䜕もあったものではない。音楜を志す人は音楜以倖にもっず詩や文孊、絵画にも関心を瀺しおほしいず思った。倩に向かい、氎底に向かっお攟぀神秘の色は最匱の、無音の長い音ではないだろうか。 幎月ブリゞストン矎術通で開催された「ドビュッシヌ、音楜ず矎術印象掟ず象城掟のあいだで」の解説曞を読むず、次のようにある。ドビュッシヌが、神秘ぞの嗜奜、圌岞ぞの逃避の絶えざる憧憬を持ち、内省ず䞍安の象城的颚景である深淵のほうを向いおいた。音楜の定矩でも、ドビュッシヌは迷わず暗闇のむメヌゞを遞んだ。  「音楜は語りえないもののために䜜られる。私が望むのは音楜があたかも圱から倖に珟れ出たかのように感じられるこず、そしお折々圱の䞭に垰っおいくこず 」で、あたり明るいものは奜たなかったようだ。それでこのような闇の絵を描くこずにした。

生たれおはじめお意識した友は実家の隣に䜏んでいたちゃん、文字通り竹銬の友だった。物心぀いた頃から小、䞭孊校たでずもに暮らし、枟名で呌び合う仲だったが、い぀しか音信䞍通になっおしたった。い぀たで経っおも幌友達はいいものだ。あの頃のこずばで䞀蚀声を掛ければ時間を超えお昔が戻っおくる。心の湖底に沈んだ堆積物がその䞀蚀で掻き回され、懐かしい日々がよみがえっおくるからだろう。  この幌い日から倧孊たでずもに孊びずもに遊んだ友、孊友は朝の友、䌚瀟に入り定幎たで苊楜をずもにした友、瀟友は昌の友、定幎以埌、ずもに奜きなこずをしお支え合った友、地友は倕方の友、そしお今、われわれ倫婊の音楜䌚瀟に集う遠来の友、遠友は晩の友である。  朝は垌望。朝時半に目を芚たした児童が時には小孊校に、時には䞭孊校に、時半には高校に、そしお時には倧孊に進んだむメヌゞだ。ただ寝ずがけおいた小、䞭孊校、目芚めおきた高校、この頃の友が今䞀番懐かしい。目芚めながら互いに粟神的背骚を䜜った思春期だった。倧孊ではもう違う背骚をもった友が倚くいた。こうしお歳たでずもに過ごした孊友は友情に富み、意欲に溢れおいた。かれらはその埌どんな昌を送り、今どんな晩を送っおいるのだろう。  昌は倢䞭。新入瀟員ずしお働きはじめた時、仕事に慣れた時、働き盛りの時時、疲れはじめた時、頭が回らなくなった時、この間を倢䞭に過ごしおきた。そこで出䌚った友はやはり孊友ずは違っおいた。みな、はじめから芚醒した違う背骚をもった倧人ばかりだった。組織ずいう名の檻の䞭はずかく窮屈でじめじめもしおいた。目的達成のためには知恵ず意志が尊重され、ずきに情は捚おなければならなかった。そんな䞭で切磋琢磚する瀟友は逞しい同志だったが、そのうちに疲れも出おきた。孊友が情・意だったのに察し、瀟友は知・意、総じお瀟友が孊友よりドラむに芋えたのはその所為だろう。その瀟友はか぀おどんな朝を送り、そしお今、どんな晩を送っおいるのだろう。  倕方は残照。䞀般に䌚瀟人間は、定幎埌は淋しいものだ。今たでのように四六時䞭ずもに過ごせる友はいないし、時から新たな友を䜜るこずは至難であり億劫でもある。趣味の合う趣友がいおも地理的に離れおいおはそうそう䌚えない。 私の堎合、ここに登堎しおきたのが同じ地に䜏み、仲良くしおきた地友である。時からの友ずいえる。同じ新興の地に䜏む“奜きなこず仲間”だ。“村のミニコミ誌䌚”“挢詩の䌚”“混成コヌラス”“絵画同奜䌚”“有志のカラオケ䌚”“曞道同奜䌚”“異文化研究同奜䌚”の仲間で、女性、男性、壮幎、熟幎、初老、珟圹、リタむア、出身も職歎も区々の、たこずにおもしろい倚士枈々だった。圌らずは情が通じ、知が共有できた。かれらの午前や午埌はどうだったのだろう。  定幎埌匕っ越した湘南囜際村は湘南の富士山の芋える景勝の地で、高い䞘の䞊に立぀村は開発したおで真新しく、䜏民も新入村者ばかり、他の地域から自然条件的に隔離され、戞数も少なく、それだけに同朋意識が湧く。定幎埌、あるいは定幎盎前に匕っ越しおきた村人は倚分にロマンティストで、蚀わず語らずの粒揃いだった。  互いに知らない地でこれから助け合い、支え合っお生きお行くためにできた同奜䌚では、他人事に田舎のように詮玢も介入もせず、ずいっお郜䌚のように冷たく、我関せずでもなく皋よい家族ぐるみの新地瞁関係が続いた。この地友は知的で情に厚い友であった。  色んな分野で、酞いも甘いも噛みしめおきた時からの友は和玙のように矎しい。お互い䜕のしがらみもない。その話に耳を傟けるず深く味わいのある䜙韻が響き、圌らの、私の知らない朝や昌たで想像させおくれた。時から知る別䞖界、これらを開陳しおくれる貎重な地友こそ皀有な癒しの友だった。が、晩になる前にかれらず別れを告げた。  地友関係は幎たで続いたが、喜寿を迎えた私は突然里心が぀き同幎、関西芊屋に匕っ越した。晩幎にふさわしい晩の始たりだ。  晩は寡黙。芊屋ではわれわれ倫婊が建おた音楜ホヌルに倖囜勢も含めお遠来の客が集い始めたが、昚幎来のコロナ犍でそれも叶わないずころずなった。デゞタル時代ずあっおメル友やフェヌスブック友が増えた䞊、ZOOMずやらでズヌムアップはしおいるものの半人半ロボの感じは吊めない。かれらを玔然たる意味で友ず呌ぶには抵抗がある。距離的に幎霢的に心理的に皮膚的に遠い存圚の友だからだ。かれらの過ごしおいる䞀日にはもはや関心が薄れた。しかし、晩の友は晩幎にふさわしく、濃厚でない、あっさりした知情意レスの友の方が䌌合うのかも知れない。

私は今幎月日にアマゟンの電子曞籍で「英語耳は䞭幎からでも進歩する」を発行したした。たた月日にはそのペヌパヌバックスも発行したした。(www.amazon.co.jp/dp/b0967zn42q ) 戊前生たれの私は孊生時代から英語攟送を聞きたい䞀心で色々詊したしたが、どれも長続きしたせんでした。そんな私が歳も回ったずき、たたたた英語攟送だけが聞けるラゞオをみ぀けたした。それがすべおの物語の始たりです。長い長い旅路でしたが、この歳になっお聞けるようになりたした。その旅の暡様を詩的にか぀論理的に語ったのが本曞です。宣䌝しおいただければいよいよ嬉しいです。

日、か぀おベストセラヌになった「絶察音感」最盞葉月著を読み盎しおいお、あの䞖界的に有名な䜜曲家にしお指揮者、バヌンスタむンミュヌゞカル“り゚ストサむド物語”の指揮などの「音楜っお䜕」ず題する蚀葉に出䌚った。孫匕きの䞊、我田匕氎めくので恐瞮だが、ちょっず匕甚しおみたい。「 倧切なのはこのリズムが僕たちを興奮させ、ワクワクさせおくれるこず。 ワクワクするのは、ワクワクさせるように音楜が曞かれおいるから。 みんなだっお䜕かが自分に起こったずき、螊ったり歌ったりしお、自分の気持ちを衚珟しおみたくなるこずっおあるでしょう絶察あるよね。䜜曲家にもあるんです。 音楜の意味っおいうのは、これなんです。シャヌプずかフラットずか和音ずか、むずかしいこずをたくさんわかる必芁はないんです。もし、音楜が䜕かを私たちにいおうずしおいるなら、その䜕かずいうのは物語でも絵でもなく、心なんです。もし音楜を聎いお、私たちの心の䞭に倉化が起こるなら、音楜が私たちにもたらすいろいろな豊かな感情を感じるこずができるなら、みんなは音楜がわかったこずになるのです。音楜ずはそれなんです。物語や題名はそれに付随したもの。そしお、音楜が玠晎らしい点はみんなにいろいろな違った感情をもたらすこずができるこず。それには限界なんおないんです。 音楜は音笊の動きです。忘れおならないのは、音楜は動いおいるずいうこず。たえずどこかぞ動き続けたす。音笊から音笊ぞ飛んで、倉化しお流れおいきたす。そしおそれが、䜕癟䞇ずいう蚀葉でもいい尜くせない心を䌝える方法なんですね」  私自身、音楜はそのようなものずずっず考え、その考えに基づき自分のホヌムペヌゞを䜜っおきた。が、内心い぀もどこかで忞怩たるものがあった。今月、これを読んで心底救われた。今たでの姿勢を貫いおよろしいずこの倩䞋の指揮者にお墚付きを貰った気分になった。もう䞀床芁玄すれば、①専門知識より心、②いろいろな感じ方があっおいい、③音楜は動いおいるもの、④蚀葉では蚀い尜くせない心、この四芁件になる。 盞圓以前の話だが、うちでクラシックファンが集たっおクラシック音楜に぀いお語り合ったこずがある。この機䌚にそのこずに぀いおも少し觊れおおきたい。 たずこんな質問が出た。クラシックはどこで聎くものか。君「ロックなどはからだ党䜓で聞く。挔歌などは胞で聎く。クラシックは頭で聎くものず考えられがち」君「クラシック愛奜者も最初は胞で感動しおいたが、知識が増えるに぀れ頭で聎く傟向が出おきた。クラシックには教逊䞻矩的、圢而䞊孊的色圩が濃く、俗化させたくない意識がある」君「よっお超技巧 などず䞀般受けしない衚珟が倚い。「英雄」などの副題があるず倧分違う」䞭西「マニアックな人たちの話題には぀いおいけない」 次の質問。本圓にクラシックファンは少ないのか。君「隠れたファンはいるにはいるが自らファンず名乗るこずは少ない。䜕かのキッカケでそれが刀明する。次。クラシックはどうしお近づきにくいのか。の䞡君「今は芖芚偏重の時代。芖芚に蚎えられないものは受けない。聎芚だけでは物足りない」、君「今はむンスタントな時代。ちょいちょいずいいずころだけを぀たみ食いする時代。長々ず半時間、䞀時間ず聎く蟛抱がない」䞭西「今はラフな時代。姿勢を厩さず、咳䞀぀せず、静かに居座る苊痛に耐えられない」次。クラシックの質は。君「クラシックは䞖玀前半たでに䜜曲されたもので䜜曲者の顔が芋えない。芪近性がない。舞台の挔奏家ず聎衆の間に䞀䜓感がない。舞台ず客垭の間の物理的、心理的距離が問題」君「楜譜に忠実に挔奏するこずが求められるものゆえ、創造性に乏しい」など。 前号でも曞いたが、人それぞれに奜きな音楜を聎けばよい。それが心を打぀ものであればゞャンルを問うこずはない。しかし今あらためお思うに、他のゞャンルの音楜を聎いお、今のようなコメントが曞けるだろうかず。むしろクラシックだからこそ曞けおいるような気もする。それほど匷くクラシックは私の心を打っおいるのかも知れない。 ホヌムペヌゞ www.diana.dti.ne.jp/~tmcjapan 

霢ず脳 霢もを過ぎるず、いよいよ「自分らしさ」を远求したくなる。One and onlyの䞖界である。 人間には二぀ずしお同じ顔がないように人はみなそもそも唯䞀無二なものだが、生き方をベヌスに考えるず、そこには類型があり、必ずしも唯䞀無二ずは蚀い難い。今日も䞖界陞䞊の暡様をテレビで芳戊しおいお、勝負を争う遞手の生き方に盞違があるずは思えなかった。 それでは、人がその人らしく、他人ず違った生き方をしおいるずはどういうこずか。それはその人の脳に刻たれた痕跡、圢跡が他人のそれず違っおいるこずだ。 人は生たれ萜ちた瞬間からそれ以来、䌑むこずなくどの瞬間も脳を䜿わずに生きおはおられない。䞉぀子の魂癟たでずはよく蚀ったもので、人の蚀動は生埌から珟今たですべお脳の支配するずころであり、その圢跡は蚘憶され、よく䜿う脳の郚䜍はよく発達し、匷化され、䜿わない郚䜍は未発達のたたで残る。 私は人をざっくりず動詞型、名詞型、圢容詞型の䞉皮類に分類する。動詞型は行動掟、名詞型は知性掟、圢容詞型は感性掟で、だれでもこれらのすべおの芁玠を倧なり小なり持ち合わせおいるが、ずくにその人の目立った郚分で色分けしおいる。動詞型の兞型はスポヌツマン、名詞型のそれは孊者、研究者、圢容詞型のそれは芞術家ずいった具合である。 人がどうしお今の職業に぀いたか、それはその人の脳に蚊けば解る。幌少の頃からの色々な生掻䜓隓が脳に刻たれおおり、それが埗手ないし無難ず思われた職業を遞ばせたのである。そしおその職業に付くこずにより、いよいよその方面の脳郚䜍が発達し匷化された。反面、少しも䜿わない郚䜍は未発達のたた残された。 ここで私の堎合を取り䞊げおみる。明らかに圢容詞型である。 私の幌少時を蟿るず同居しおいた祖父が衚具垫だったため物心぀いたずきから曞画骚董を身近で無意識ながら芋おきた。無意識ではあるがそれにより私の芖芚神経郚䜍が幌少の割には発達しおいたかも知れない。それがいうずころの䞉぀子の魂ずなり、発芜ずなっおそれ以埌どの幎霢においおも矎術に察する関心はあり、それが匷たり今日に至っお絵を描いおいる。 たた父が私の幌少の頃からこれからは英語が倧切ず説いたこずから英語奜きになり、孊生時代を通じ、たた瀟䌚人になっおからも英語を鍛えたが、それらはすべお私の蚀語䞭枢を発達させ匷化させた。 矎術や英語が奜きになったのはこのような次第である。 そこに新しく加わったのが音楜である。 結婚するたで私の生掻環境に特段、音楜に蚀及するほどのこずはなかった。これたた脳のよく知るずころで、この聎芚神経が発達しおいたずは到底思われない。 しかし、劻が音楜に特化した女性だったため、次第に音楜に目芚めた。しかし、それは䞉十歳半ばからで、運動神経が未発達な私に、運動神経のいる楜噚を扱うこずは䞍向きず断じ、できるのは音楜鑑賞だった。ずくに定幎前埌からはクラシック音楜を䞭心に聎いおきた。自前で音楜ホヌルを䜜ったこずもあり、このホヌルや他の堎所で催したコンサヌトも今や回以䞊を数え、垞に挔奏家の生の音に接しおきた。これが私の聎芚神経を異垞に発達させたこずは間違いない。 話が少し元に戻るが、私の英語奜きの特長は、リスニングにある。歳から始めたアメリカ囜内攟送の聎き取りである。ただ聎き取れたずは蚀い難い。が、間違いなくその聎芚開発途䞊にあり、これからが楜しみな領域に入った。 䞖の䞭には矎術の専門家も音楜の専門家も英語の専門家も沢山いる。その人たちにずっお、それはその専門領域であり、たやすく他人が远随できるずころではない。英語の堎合は少し違う。こずは読み曞きではなくリスニングである。䞭でも米囜の囜内攟送が聞けるリスニングである。䟋倖はあるずしおも垰囜子女でなければできる技ではないず思う。 を回った私の「自分らしさ」をいよいよ磚いお行くためには、以䞊の䞉぀、絵描き、クラシック音楜鑑賞、英語リスニングの総合である。音楜の聎芚野ず英語の聎芚野、これらは脳郚䜍でも近くに居合わせ䜕らかの盞互䜜甚があるはずである。たた絵画の芖芚野も音楜の聎芚野ず芖聎芚ずしお底蟺で繋がっおいるかも知れない。 これからの脳掻性化が粟神的、肉䜓的若さ保持の秘蚣である。 

ミルバヌン・ホテルの䞉癟九号宀で今朝目芚めたのはただ暗い五時半頃だった。隣のベッドでは君がただ気持ちよさそうに眠っおいる。倖の音がする。ガタガタずトラックが走り去る音がブロヌドり゚ィの方から聞こえ、犬の吠える声がする。人の声も聞こえたようだ。昚日、ノヌスり゚スト機で十䞀幎ぶりに蚪れたニュヌペヌクは私の頭の䞭で埐々にそのかたちを䜜り出そうずしおいる。今、泊たっおいるこの西䞃十六䞁目からセントラル・パヌクを暪切っお東偎に出ればか぀お䜏んだ東䞃十䞉䞁目や東八十四䞁目に出られる。そのあたりは今どうなっおいるのだろうか。セントラル・パヌクの萜ち葉はもう盛りを過ぎたのだろうか。そんな想いに耜りながら、もうベッドから起き䞊がっおいた。六時十分服を着替え、そっず階䞋に降りお行った。 ホテルの玄関を出お東の空を仰ぐずただほの暗く街灯の灯りの方が明るい。しかし、わずかに癜みがかっおきおいお建物の黒いシル゚ットが矎しい。晩秋の空気が肌をさし快い。早起きのアヌリヌバヌドたちが犬を連れおホテルの前を過ぎおいく。䞀日の始たる朝の静かな息吹きが私はこずのほか奜きだ。四、五階建おの堅牢な石、たたはコンクリヌトのアパヌトが舗道の䞡偎に立ち䞊びいずれも同じような階段぀きファセヌドを持っおいる。倧きな西掋犬を連れた䞭幎の男女が犬に匕っ匵られお黄耐色に染たった街路暹の䞋を勢いよく通り過ぎおいく。セントラル・パヌクに入るず晩秋の颚情がいっそう色濃く迫っおくる。手前の暹朚も向こうの暹朚もみな黄色ずいうより赀耐色に染たり、その暹朚の間を瞫うように走る舗道を色んな人がゞョッギングしおいる。週末のニュヌペヌク・マラ゜ンを控えお色ずりどりのりむンドブレヌカヌが賑やかだ。パヌクの向こうに顔を出したプラザ・ホテルの建物や振り返ったずきのダコタの城状建物が懐かしい。しかし、セントラル・パヌクっお暪切るのにこんなに時間がかかっただろうか。久しぶりの散策で遠回りもしおいるし、ちょろちょろ小走りに出おくる可愛いリスに芋惚れもしおいるが、こんなに時間がかかるずは思わなかった。きっず日本の小公園に慣らされおいるからだろう。マンハッタンからセントラル・パヌクを倱くしたらどんな郜䌚になるのだろう。人工的な高局ビルで埋め尜くした郜䌚だからこそ、こんな自然な倧公園を真ん䞭に眮いおバランスをずっおいるのだろうか。 そんなこずを考えながらうろ぀いおいる間に東八十四䞁目のメトポリタン・ミュヌゞアム暪に出た。いよいよ懐かしい東偎だ。すっかり明るくなった街を、車が、人がいく。幅広い舗道、頑䞈な石の建物が嚁颚堂々ず䞊ぶ。か぀お䜏んだ東八十四䞁目の䞀番街ず二番街の䞭間に䜍眮するアパヌトを眺めおみる。いささかも倉わっおいない。はじめおニュヌペヌクを旅する者ならこんなアパヌトにだれが䜏むのかず興味を抱くずころだが、私にはそれがない。たぎれもなく私自身その䜏民だったからだ。いっかどニュヌペヌカヌぶっおいた頃の私の残圱を私は今あらためおみた思いだ。よく歩いたサヌド・アベニュヌ、レキシントン・アベニュヌ、パヌク・アベニュヌ、マディ゜ン・アベニュヌを瞫いながら東䞃十䞉䞁目のか぀おの単身寮も眺めおみた。ここも䞀切倉わっおいない。堅牢な建物は倖芳から芋る限りなんらの倉化もない。くすんだチョコレヌト色のアパヌトはそのたただ。 ここたできたずきふっず私の頭を過ぎるものがあった。それはもう䞀床ニュヌペヌクずいう郜䌚を私なりに定矩しおみたかったこずだ。私はそれをずした。はdiversity、Uはurbanity、Eはethnicity、぀たり、雑倚性、郜䌚性、人皮混圚性だ。ニュヌペヌクにはあらゆるこずの極端がある。道䞀぀隔おお違う文化が棲息しおいる。矎醜を越えた矎がある。匷いアクセントが存圚する。私は同じ方向に矀れたがる日本より䞀人䞀人の個性を重んじるこの街が奜きだ。ニュヌペヌクは真の郜䌚だ。自然の矎も矎しいが石ずガラスずコンクリヌトの人工矎で構成した郜䌚矎こそここの生呜だ。そしお刺激的だ。ニュヌペヌクは䞀切のたがい物を拒絶する。本物だけが生きる魅力ある街だ。そんな郜䌚が私は奜きだ。ニュヌペヌクは人皮のる぀がだ。あらゆる人皮があらゆる文化の花を咲かす。ブロヌドりェむのあのくったくない黒人の歩き方を芋よ。地䞋鉄の乗客を汚いずみるか、危険ずみるか、それはみんなの勝手だが、私には人間ず映る。匷烈な個性を発散する人たちだ。こんな鏡に映したずき、どんなに日本人が粟圩を欠くこずか。色んな人皮が愛するニュヌペヌクを私も愛する。こんなニュヌペヌクはこんな私を愛しおくれるに違いない。 さお今日から始たる音楜の旅、リンカヌン・センタヌ、カヌネギヌ・ホヌルが新たなるパンチずビヌトをわれわれに䞎えおくれるこずを祈り぀぀。 幎月日